Home > 「神戸ぶんか」異聞 Archive

「神戸ぶんか」異聞 Archive

「神戸ぶんか」異聞 完結のお知らせ

  • Posted at July 21, 2006
  • Posted by: admin

 本コラムの筆者である朝日カルチャーセンター・神戸 館長 中山剛氏が、2006年7月14日にご逝去されましたので、「神戸ぶんか」異聞は、第40回をもって完結させていただきます。

 私は、中山氏のご依頼により2006年4月に当ブログを開設し、今まで蓄積されていた原稿を一挙に掲載させていただきました。以降は管理を任され、逐次、コラムを掲載させていただいておりました。

 そして、7月7日、私に第40回の原稿を送付したとのご連絡をいただいた直後の会議中に倒れ、意識不明の状態に陥られ、7月14日、医師の懸命の努力にもかかわらず、家族に見守られて他界されました。

 中山氏は朝日カルチャーセンター・神戸の館長としての業務も多忙で、コラムの執筆も月に1回程度ではありましたが、今後はコラムの執筆に精力的に取り組むとともに、新たなカテゴリーとして“日々雑感”を設け、コラムだけでなく日々の生活の中で感じたことも掲載していくと言われていた矢先であり、私としても残念でなりません。

 中山氏のご冥福をお祈りするとともに、中山氏に敬意を表し、当ブログはこのままの形で残しておきたいと思います。

 読者の皆様、短い期間ではありましたが、誠にありがとうございました。

(2006年7月21日)

Comments

時のわらし 2006年7月22日 16:28

中山氏の急逝を知り驚いています。
神戸を愛する氏のコラムは同じく神戸を愛する私にとって楽しみの一つでした。
次回はどんな話題が取り上げられるのかいつも心待ちにしていました。
氏のコラムは日常生活の中で私達がなんとなく見過ごしている(神戸の)事柄に、様々な角度から問題提起するものでした。その視線は的確で、ジャーナリストスピリッツを感じます。また写真も玄人はだしで的確な物でした。
もう二度と更新されないのかと思うと残念でなりません。
謹んで哀悼の意を表したいと思います。

第40回 老舗とともに残したい ~「トアロード」の魅力~

  • Posted at July 7, 2006
  • Posted by: admin

第40回の写真通りを跨ぐアーチの「TOR ROAD」が、トアロードと知る手がかりになっているが……(神戸市中央区で)

 久しぶりにトアロードを歩いた。阪神大震災前に比べると空が狭い。見上げるようなビルが増えたせいか、圧迫感を感じる。神戸に住み始めた約30年前のトアロードは、シックな大人のストリートだった。元町通りやセンター街が「動」、トアロードは「静」であった。

 TOR ROAD。神戸らしい名がハイカラで、他にはない店の集まりが魅力だった。ブティックの草分け「エスターニュートン」、米国スタイルのドラッグストア「アメリカンファーマシー」、洋菓子と喫茶の「コロンバン」など、忘れられない店が多い。

 震災後は雨後のタケノコのように雑居ビルが増え、通りは一変した。カラフルな看板が目立ち、雑然とした雰囲気に。日本のどこにでもある街と変わらない。通りを跨ぐアーチに「TOA ROAD」というロゴがあって、ようやく神戸の街とわかるほどだ。

 マキシン、クロス、デリカテッセン、ハイウェイ……。昔からの名をとどめる老舗がトアロードらしさを今に伝えているが、通りとしての魅力は失われてしまった。

 街並みは変化する。これは経済優先の世の中では仕方が無い。しかし、失われた大切なものは二度と戻ってこない。街並みは、いったい誰のものなのか。神戸がこれからも観光で生き残るのなら、今こそ「景観」を真剣に考えるべきではないだろうか。老舗の持ち味が残る建物や店構えを残しておきたい。トアロードの一角に立って、そう考えた。

(2006年7月7日)

第39回 オリックスが大阪中心へ ~市民の観戦が球団育てる~

  • Posted at June 23, 2006
  • Posted by: admin

第39回の写真スタジアムでの観戦を呼びかける清原と中村選手の写真(神戸・三宮で)

 プロ野球・オリックス球団は、いま兵庫県と大阪府で認められているフランチャイズ(本拠地)を、08年から大阪府に一本化する意向を示した。さっそく来年(07年)の神戸での試合数を20に減らすという。

 オリックスグループが大阪ドームを買収したとばっちりだ。球団が試合を自分の球場のある大阪に集中したいと考えるのは、経営ポリシーとしては当然のことだろう。しかし、阪神大震災以来、「がんばろうKOBE」を合言葉に、復興の象徴となってきた球団にすっかり親しみを持ったファンは多いはずだ。そんなファンに背を向けることになる。兵庫県からパ・リーグの球団が姿を消し、楽しみにしていた日本シリーズ・阪神対オリックスの「兵庫県マッチ」も夢に終わってしまいそうだ。

 今季のオリックスは、清原、中村両選手の加入で、PRにも力を入れている。神戸・三宮の中心にある交通センタービルでも、「スタジアムに見に来てや!!」と、2人の大きな写真を1階のガラス壁面いっぱいに掲げて、ファンに観戦を呼びかけている。

 野球ではないが、ヨーロッパのサッカーチームを支えているのは、本拠地の地元市民だといわれる。サッカー評論家のセルジオ越後さんは、「市民1人がシーズンに1回、観戦に行くだけで、チームの経営が成り立つ場合が多い。気持ちの上ではもちろん財政的にもチームを育てるのは、地域住民の応援だ」と説いている。

 オリックス・バッファローズが大阪へいってしまう、と嘆く前に自分はいつ応援にいったかを考えてみよう。とりあえず、神戸グリーンスタジアム、いや、正確には「スカイマークスタジアム」へ、足を運ぼうではありませんか。

(2006年6月23日)

第38回 神戸市文書館って? ~建物の由来にそむく~

  • Posted at May 20, 2006
  • Posted by: admin

第38回の写真神戸市文書館。かつては神戸市立南蛮美術館だった。建物は、昭和10年代に建てられた(神戸市中央区熊内町8丁目で)

 新幹線新神戸駅からバス通りに沿って東へ歩いて10分。通りの南側に神戸市文書館がある。昭和10年代に建てられた“昭和モダン”の洋館。南蛮美術品を収集していた篤志家が、作品を収納する美術館として建て、市へ寄贈したものだ。長い間、旧神戸市立南蛮美術館として神戸市民に親しまれてきた。

 その後、南蛮美術品が市立博物館に吸収され、建物は文書館に衣替えした。「まったく機能を果たしていませんよ」と、歴史専門の大学教授は批判する。文書館には「新修神戸市史」編集のために収集した資料が保存されている。だが、市史も肝心の「古代・中世」編は未完で、発刊のめどが立っていない。教授は「文書館の職員は管理するだけで、古文書を読める人がいない。調査・研究は神戸大学に委託している。こんな状況では、市民が訪れてもあんまり意味がないし、事実ほとんど利用する人はいない」と、手厳しい。

 実際、文書類では江戸時代の商家関係のものが数種類あるにすぎない。すでに刊行された本「新修神戸市史」に詳しく書かれた文書を、わざわざ見にくる人が少ないのも当然だろう。

 美術館時代の30年前に、ここで重要文化財の「泰西王侯騎馬図」「南蛮屏風」「聖フランシスコ・ザビエル像」などの名品を見た私としては、この建物が文書館というのは寂しい。南蛮美術品にふさわしい器をという篤志家の思いをよそに、文書館にしてしまったのは、行政の大きな失点だった。

(2006年5月20日)

第37回 由緒ある旧居留地の町名 ~「神戸検定」にピッタリ~

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第37回の写真上:神戸市地下鉄「旧居留地・大丸前」駅の案内板
下:「浪花町」筋を示す銘板
 (いずれも神戸市中央区で)

 東から順に、東町→伊藤町→江戸町→京町→浪花町→播磨町→明石町→西町と並んでいるのはどこでしょう? いま流行の「○○検定」が神戸で展開されたら、こんな問題が出題されるに違いない。答えは、神戸市中央区にある旧居留地の町名だ。

 こんなありきたりの名前が、どのようにして付いたのか。江戸、浪花、京と日本を代表する都市名と兵庫県の地名を並べたに過ぎないが、ひとつだけ気になるのが伊藤町だ。当時、初代の兵庫県知事に就任した伊藤博文に因んで付けられたようだ。

 旧居留地は、新しい神戸市の地下鉄海岸線の駅名にもなっている。「旧居留地・大丸前」。ひらかなで16文字。ローマ字で綴ると23文字にもなる。こんな長い名前をだれがきっちり口にできるだろうか。でも、由緒ある歴史的な名前を採り入れたことは、評価できる。それにしても、有名デパートの名とミックスしたのは、なぜなのか。

 旧居留地の建物で店舗を展開するというアイデアを十数年前に持ち出したのが、大丸神戸店の店長だった。これがヒットした。ブティック、レストランなどハイクオリティーの店を重厚な建物の中にというのが、神戸っ子に受けた。

 地元の経済評論家は「これからの神戸では旧居留地が売り」と持ち上げ、「人は三宮、元町から旧居留地へ流れる」と予測する。

 明石では最近、「たこ検定」なるものが行われ、500人を超す物好きが参加した。検定のようなイベントが好きな神戸も、黙っているはずがない。神戸検定があれば、エキゾチック神戸を形づくった旧居留地の問答が多いはずだ。あらためて旧居留地の勉強をしなければ・・・・・・。

(2006年3月17日)

第36回 12年ぶりにみこし行列 -4月の生田祭で三宮地区

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第36回の写真4月に生田祭が行われる生田神社。今回は地元・三宮地区が当番で、商店街をみこし行列が練り歩く(神戸市中央区で)

 神戸・生田神社のおまつり「生田祭」の神輿(みこし)行列が4月15日に、12年ぶりに三宮の商店街を練り歩く。この行列は、神戸市内12地区の氏子が順番に担当するしきたり。三宮地区が前回担当したのは大震災の前年、平成6年だった。地元・商店会などで組織する委員会は、今回は震災復興を喜び、同時に神戸空港開港を祝うイベントにしたいと、盛り上げをはかっている。

 神戸の大氏神・生田神社の生田祭は、1800年も続くといわれる伝統行事。当日は、午前中に奉幣(ほうべい)祭という神事が本殿であり、午後から神幸祭を行う。神幸祭は、神を神輿にのせて地域を巡る「お渡り」行事。のぼり、髙張提灯、太鼓に続いて、獅子舞、武者、お稚児さん、子どもみこし、神輿が歩き、宮司、役員らが従う。地区委員会や神社側は、「みごとに震災復興を遂げた新しい町の様子を神に見ていただきたい」といい、どこをどう巡ればいいかを検討中だという。

 もともと神社の祭りの趣旨は、地域の人々と神の出会いの場、というもののようだ。その意味で、このようなイベントを地域の発展とつなげようという考えは、いいことだ。政教分離の原則から、住民にも宗教行事を遠ざける風潮が強まって久しいが、みんなで参加できる行事は、みんなで盛り上げていい。新しい現代的な町並みの中に、古来の行事を溶け込ませるのは、結構ではないか。協力といえば、経済的な援助ばかりではない。物心両面の支援が必要だ。「華美にならず、心のこもった祭りにしたい」というのが委員会の方針。沿道で見るだけでなく、神輿の奉仕者として列に参加するのも、ひとつの協力の形だろう。

 商店街は、セールのたびに新企画を打ち出して集客を計るのもいいが、せっかくのすばらしい伝統行事に合わせたPRを考えるのも一手だろう。

(2006年2月20日)

第35回 テナントは見学だけ ~ビルの消防訓練~

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第35回の写真消防訓練での心臓蘇生の模擬訓練。「AED」=手前=の取り扱い実演もあった(神戸市中央区のセンタープラザで)

 神戸・三宮の中心街、センタープラザなどの商業ビルで、共同自衛消防訓練があり、テナントの一員として参加した。

 「プラザ西館3階の店舗から出火」との想定。模擬の煙がたかれる店舗で、自衛消防隊員がてきぱきと、連絡、消火、負傷者搬送にあたり、訓練は「計画通り」に行われた。このあと、中央消防署から、AEDの取り扱いを含めた心臓蘇生の実際を学んだ。

 ところで、AEDって、なに?と思う人が多いはずだ。Automated External Defibrillatorの略で、日本語では自動体外式除細動器という。停止した心臓の回復に電気ショックを与えるための小型器械。昨年の法改正で誰もが扱えるようになり、町のあちこちに設置されている。三宮でも各商店街の防災センターに置いてある。高齢化社会が進むにつれて心臓病で倒れる人が増えている。1秒を争う心臓突然死の対策の一環だ。それにしては、何という名称だろう。「AED」という略語では、なかなか普及しないはずだ。せっかくの威力ある器械だが、使おうにも一般の人は名称で尻込みしてしまいそうだ。もっと分かりやすい日本語の名前をつけるべきだ。

 もうひとつ、訓練には各店舗から多くの人が参加したが、大半は見学していただけだった。管理者から「火事になれば、ビル内では自動的にシャッターが降りて・・・・・・」との説明があったが、実際にどのシャッターがどう閉じるのか、それに応じて店内の一般客をどう誘導したらいいのか、といった訓練はなかった。テナントにとって肝心なのは、客の被害を出さないことなのだが。

(2006年1月30日)

第34回 新空港をめぐる税投入 ~神戸市の弁明は不可解

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第34回の写真神戸空港利用の旅を誘う商店会のポスター

 2月16日の神戸空港開港を控えて、「一番機で飛ぼう」などの呼びかけが街にあふれ、開港ムードが盛り上がっている。だが、財政運営面では、行く手に何やらおかしな雲が立ち始めている。

 「神戸空港に市税は投入しない」としていた神戸市がここへきて、空港整備事業会計に市税の一部を繰り入れる起債償還の可能性を示したからだ。1998年の議会で「空港建設に市税を投入しない」との決議をしていた神戸市議会は、市の方針転換にあきれ、野党議員らから批判の声が上がっている。

 読売新聞によれば、矢田立郎市長は10月の市長選で「空港にいっさい市税を投入しない」と公約していたという。ところが、当の矢田市長ら市側は「(起債償還は)管理運営費の一部としてとらえられる。建設ではない」と主張し、市議会決議には反しないとの見解を示している。市のこうした姿勢転換は、航空機の着陸使用料収入が大幅に落ち込む見通しになったことに対する措置と受け取られている。就航する航空機は小型機が多く、思うほどの収入につながらないとみられる。

 為政者が「白いネズミだ」といえば、黒いネズミも白と認められる、といういのが政治の世界の常識、と言った政治家がいたが、今回の神戸市の態度はそれに似ている。市長選からわずか 3か月足らず。こんな市長を投票率の低い選挙で選んだ市民にも責任の一端があろうが・・・・・・。

 3月22日の当コラムで「(空港をめぐる神戸市商法の)お手並みをじっくり拝見することにしよう」と書いたが、我田引水気味の主張を弄することが「新商法」では、先が思いやられるというものだ。

(2005年12月26日)

第33回 神戸ルミナリエ、「光の第二章」って?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第33回の写真ルミナリエの「光の彫刻」は、昼に見ると白い板。これに無数のランプがちりばめられて、光を放つ
(神戸市中央区の東遊園地で)

 神戸の歳末恒例「KOBEルミナリエ」が、中央区の旧外国人居留地と東遊園地で9日から始まった。阪神大震災犠牲者の鎮護を願って、その年の 12月から始まった光の祭典は、今年が11回目。美しく輝く光の彫刻は、神戸の冬の風物詩としてすっかり定着した感がある。

 この催しに、総額約6億円もの莫大な費用がかかるという。その割には地元への還元が少ないというのが、商店関係者の一致した見方だ。催しは、兵庫県、神戸市、神戸商議所、観光団体などで組織する「委員会」が主催する方式で、資金は、募金や助成金、イベントグッズの売上金などで賄われている。近隣の商店街や企業も大口の募金をしている。しかし、会期中に訪れる500万人もの客の大半は、会場に行って帰るだけというケースが多いようで、商店の売り上げに、なかなかつながらない。

 夜の催しだけに、見終わっても商店や飲食店に立ち寄らない。買い物も、会場販売限定の記念品に人気はあるが、一般の商品までには及ばず、商店街は、思ったほど潤わないと聞く。

 開催当初は、 3年限りの計画といい、それが5年までとか言っているうちに、「継続を望む声が大きい」と、1年延ばしして10年。今回のテーマは「光の第二章」。よくわからないが、これまでの10回に重ねて、これからの10年に入るのが第11回、との宣言に聞き取れる。

 費用の大半が、この「光の彫刻」を創り出したイタリア人アートディレクター側に支払われる。責任の所在があいまいな「委員会」方式を信用しないわけではないが、せめて寄付の行方だけは明確にしてほしいと思うのは私一人だけではないはずだ。

(2005年12月9日)

第32回 工事現場に完成ビル出現?!

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第32回の写真ビルの壁面?いいえ、工事現場を覆うシートに描かれたイラスト。完成したビルとそっくりの絵を張り巡らせたグッドアイデア
(神戸市三宮町2丁目で)

 基礎工事が終わったばかりの建設現場に、あっという間に南仏のシャトー風の“ビル”が出現した。神戸市三宮町2丁目の一角。よく見ると、このビルは、現場を覆う大きなシートに描かれた絵だ。こげ茶色の壁に、白い輪郭の窓やテラスが鮮やかに浮かぶ。それは、完成予想図で、実物そっくりのイラストだった。

  建物は、大手アパレル「ワールド」(神戸市)の店舗ビル「メディアテラス」。地下1階、地上4階の建物には、若い世代を対象にした服飾、雑貨、飲食店が入るという。繁華街の真ん中での大掛かりな工事だけに、ほこりや騒音を避けようと、現場をすっぽり囲んだ。このような工法は多いが、全体に完成図を張り巡らせるのは、新しいアイデアだ。見ていて楽しくなってくる。

  センター街の西の入口にあり、トアロードに面したこの一角は、神戸大震災のあと、長い間空き地になっていただけに、人々の関心が高い。「何ができるのかな」と、足を止めて工事に目を向ける人たちを、このイラストは、十分に納得させている。

  この年末までに開店の予定だが、「オープン前から建物の存在を広く浸透させたい」というワールド側の魂胆は、成功しているようだ。

(2005年10月4日)

第31回 センターサウス通りって?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第31回の写真しゃれた街角と店を紹介している三宮センターサウス通りのパンフレット

 「Center South」。表紙にそう書かれた小冊子がある。全部でわずか24ページのパンフレットだが、なかなかしゃれている。「三宮センターサウス通り」の店舗紹介のパンフだ。

 どこにあるの、その商店街? 三宮本通の南一帯だ。こぢんまりとした店が軒を寄せ合うように並んでいる。

 きっちりとしたパンフになると、街のありようがよくわかる。つい、歩いてみたくなって、パンフを片手に出かけた。

 牛肉の「三ツ輪」、天ぷらの「二見寮」、サーロインの「三宮ステーキ」、洋食の「あいはら」、焼き鳥・釜飯の「豊国」、そばの「志奈乃」……。食べ物の店は老舗、名店が多い。昔からの神戸っ子には、いずれもなじみのある名前ばかり。

 三宮・元町一帯の通りには、いろいろ工夫した名が付けられていて楽しい。最近のヒットは「トアウエスト」だろう。文字通りトアロードの西側一帯。若者向けの現代風な店が相次いで現れて、新たな文化ゾーンを創り出している。三宮地下街ができたとき、この商店街を「さんちか」と命名し、そのローマ字表現を「Santika」と提言したのは、神戸在住の有名詩人だった。「Sanchika」では、モダンな感じが伝わってこない。通りや街のネーミングがいかに大切か、神戸の街は随所でそれを示している。

(2005年8月9日)

第30回 絵画個展を前に作品紛失

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第30回の写真次々に送られてくる展覧会案内のはがき(本文と関係はありません)

 先ごろ神戸市内の有名美術画廊で開かれた兵庫県内在住画家の絵画展を前に、主催者側が、その絵画展のメイン作品(10号、油絵)を紛失した。ヨーロッパを題材にした力作だった。

 同展の案内はがきに、その作品の写真を大きく載せていたため、主催者は急遽、別の作品をあしらったはがきを刷り直し、「私どもの不手際により(案内状に掲載した写真作品が)出品できなくなりました」との旨の「おわび」を書き添えた。

 最初の案内状作成で印刷会社に渡し、戻ってきた作品を主催者が保管しているうちになくなったという。ダンボールに包み、保管棚に置いてあったが、他の展覧会の作品入れ替えなどに紛れて消えたらしい。 当の画家は「近くのごみといっしょに捨てられた可能性が大きい」と憤る。

 主催者側が手落ちを認めて弁済する手筈になっている。しかし、こんなことでいいのだろうか。作家の魂とも言うべき作品の扱いがあまりにもお粗末だ。文字通り「商品」を扱う態度としか思えない。なくなった作品はかなりの値がする、と聞く。これが、もっと高価な高名な大家の作品だったら「保管棚」扱いではなかっただろう。これといった紛失対策はとられていなかった。「値踏み」したような扱いをしていた画廊側に、「商売」優先の気配を感じて仕方がない。「文化」を商いにしている者の一人として、もって他山の石としたい。

(2005年6月21日)

第29回 新緑の六甲山に親しもう

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第29回の写真六甲山の新緑を背に校舎の屋上に泳ぐこいのぼり(神戸市中央区の雲中小学校で)

 新緑の季節だ。六甲山の木々の緑が目に眩しい。市街地の背後に屏風のようにそびえる 六甲山は、神戸市民にとって最も馴染みのある山だ。

  しかし、この六甲山が100年前は岩砂むき出しのはげ山であった事実を知る人は少ない。当時の人々が生活の糧に木々を伐採したため、丸裸になったのだ。そこで神戸市が植林を始め、100年をかけて現在の姿に甦らせた。六甲山はこの一世紀の間に、人間の愚かさと英知を経験した山かもしれない。

 もし神戸に六甲山が無かったら、神戸の魅力は半減する。30分あれば海にも山にも行ける。そんなアクセスのよさが神戸の売りだ。1,000万ドルの夜景も六甲山があればこそ。ミナト神戸も六甲山というパートナーを得て、いっそう輝きを増すのである。

 そして、忘れてはならないのがあの大震災。人工的なものはことごとく被災したのに、六甲山の佇まいは変わらなかった。あの時、六甲山は無言で人々を癒したのだ。六甲山よ、ありがとう。

 布引の滝の登り口に住んでいる私には、六甲山は近すぎて、いつでも行けると思うのか、なかなか足を向ける機会が少ない。 日ごろの喧噪から、簡単に抜けられる六甲の自然。こんなにいい環境を利用しない手はない。大いなる六甲山に見守られて暮らす神戸市民に呼びかけたい。「もっと六甲山に親しもう」と。

(2005年5月12日)

第28回 残った!町なかの桜の木

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第28回の写真桜の木は残った!駐車場の一角に残った桜。今年も溢れんばかりの花を咲かせ、近くの人たちの心をなごませた(神戸市中央区熊内町で)

 予想よりかなり開花が遅れた今年の桜。静かに咲いて静かに去った――。日本の春を象徴する桜の話はこの間、多くのメディアで取り上げられ、人々は桜に、めいめいの「春」を感じたに違いない。

 すでに散り初めたが、神戸市の町なかの一角にある桜の木の話を紹介したい。

 それは、桜の名所・生田川に近い中央区熊内町の住宅街にある古木だ。雲中小学校の通学路のそばに立つこの木は、もともと私立ラファイエル幼稚園の前庭にあり、木の下で遊ぶ園児の成長を見守ってきた。ところが、数年前に幼稚園が閉園となった。園舎が壊され、跡地に住宅が建った。前庭は舗装され、車5、6台分の駐車場になった。工事が始まったとき、「桜の木は切られる」と、だれもが思った。だが、この土地の新しい持ち主は、桜を残した。車1台分のスペースを取れるのに、根元の土とともに残した。それまで毎年、この桜を楽しんだ人たちはほっと胸をなでおろした。

 粋なはからいで残った桜は、今年もたくさんの花をつけ、ふっくらとした優美な姿を見せた。通学の子どもたちが、また、買い物の主婦らが、満開の桜を見上げた。夜は隣の人がライトアップをして、いっそう際だたせ、薄暗い通りは、文字通り花が咲き、周囲の人の心をなごませた。

(2005年4月16日)

第27回 空港経営、神戸市の手腕は?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第27回の写真完成間近な神戸空港の管制塔庁舎(神戸市中央区の空港島で。神戸市提供)

 建設中の神戸空港を見学した。埋め立て工事はすでに全体の8割以上が進み、220haの陸地ができあがっている。2,500mの滑走路が姿を表し、建設は順調に進んでいる。開港が来年2月16日と決まり、仕上げの工事が急ピッチだ。

 空港はポートアイランドの南沖を埋め立てた空港島に造られている。すでにエプロン(駐機場)のコンクリート舗装が終わり、11基の照明灯も備わっていた。ポートライナーの延伸工事も順調で、うねった白い線路が島へ伸びている。

 山を削って宅地を造り、その削った土を海に埋めて島を造る――。このアイデアが「神戸市商法」といわれ、市は「神戸市株式会社」と揶揄された。この工法も空港島が最後という。計画当初は、空港建設反対運動がさかんだったが、いまは鳴りをひそめた。

 関西空港と目と鼻の先に空港を造って採算が合うのか、との声も大きかった。だが、開港と同時にSKY、ANA、JALの3社が就航し、1日30便が発着する見通しという。「三宮から16分で空港へ」と、市街地に近い空港を売り物にしている。ともあれ、神戸市商法「空港の巻」のお手並みを拝見することにしよう。

(2005年3月22日)

第26回 神戸の春はどこから?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第26回の写真繁華街に植え込まれた色とりどりの花。ひと足はやい春の訪れ(神戸市中央区で)

 近畿地方に春一番が吹き荒れてから、逆に寒い日が続いた。西高東低の冬型気圧配置が戻り、六甲山に雪が舞うこともしばしば。春は未だし、の感がある。

 ふと、神戸の春はどこから来るのか、気になった。東北や北陸など、冬が長く寒さが厳しい地方では春を待つ気持ちが強いためか、それぞれに伝統的な到来の合図がある。神戸はどうか。「岡本梅林から」という人が多い。江戸時代から兵庫の里謡にうたわれた梅の名所、東灘区の岡本の梅林だ。しかし、「神戸港に外国航路の豪華客船が入ると春が訪れる」とか、「生田川の堤の桜こそ神戸の春そのもの」との声もある。かつて春霞の中を「クイーン・エリザベスⅡ号(QEⅡ)」が、悠然とミナト神戸の埠頭に入ってきたのを思い出す。確かに春の風物詩であった。いま、都会では季節の変わり目をキャッチするのが難しい。

 私などは最近、郊外のゴルフ場で聞くウグイスの鳴き声に春を感じる。早春のうちは「ケキョ ケキョ」と、下手で不完全な声。それが春風とともにだんだん上手くなっていく。

 年ごとに中高層ビルが建て込んでいく神戸市内。日脚が伸びたり、水がぬるんだり、といった自然の移ろいはあまり感じられないが、彼岸を過ぎると寒さは確実に消えて、いつの間にか春になっている。

(2005年3月2日)

第25回 マンションラッシュの正体

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第25回の写真フラワーロードの両側で起きているマンション建設ラッシュ(神戸市中央区で)

 JR三ノ宮駅から新神戸駅までの主要道路・フラワーロードの両側は、いまマンションラッシュである。いま、というより阪神大震災からの10年間に、というべきだろう。ただ、現在も、三ノ宮駅寄りのいい場所を中心に5棟が建設中だ。そのうちに両側がぎっしりマンションで埋められそうな勢いだ。人気のない早朝に歩道橋から見渡すと、あたかも映画のセットを見ているような感じさえ受ける。

 空き地や木造の家屋が、どんどん10~15階の中層マンションに変わっていく。一等地だけに、土地活用の面からは、とてもいいことだ。この辺りは人口がどんどん減ってドーナツ現象が起き、いくつかの小学校が統合・廃止されただけに、住民の数が戻れば、と期待した。が、ふと気がついた。どの建物にも植栽や子どもの遊び場がない。どれも敷地いっぱいに建てられていて、生活感が伝わってこない。それもそのはず、マンションといっても家族用が少なく、大半がシングル用かオフィス用だからだ。

 とはいえ、マンションが林立する風景は、街の景観を美しくしている。神戸市の表玄関といえる新神戸駅から最大の繁華街に続く道路は、県外客らにいいイメージを与えているに違いない。これも「震災復興」の一面なのだろう。

(2005年2月1日)

第24回 マイカー停車できない三宮

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第24回の写真新しく整備された歩道わき道路も「バス停」専用とされ、自家用車は停まれない(神戸市中央区のJR三ノ宮駅前で)

 三宮界隈、とくに駅周辺へ自家用車で出かけると、不便極まりない。停車して人や荷物を安心して降ろしたり乗せたりする場所が見つからないからだ。

 道路わきは、決まったようにバスとタクシーに占められている。

 関西国際空港や大阪(伊丹)空港へのリムジンバス乗り場があるJR高架橋の南側道路も、なかなか停めにくい。車と車の間に停めて、大きなカバンをマイカーのトランクから取り出すのも必死な作業のようだ。

 市街地以外の駅には、たいてい利用者を送り迎えする自家用車の停車場所がある。なぜ市街地にはないのだろうか。たぶん、その場所が不法駐車の車で占められるからというのが、理由だろう。しかし、うまく運用すれば確保できるように思える。

 場所をつくる責任は、JRや阪急などの交通機関なのか、神戸市なのか。取り締まる警察はどういう見解なのだろうか。いっそのこと、駅周辺からマイカーの乗り入れを禁止する方がすっきりするのかも知れない。

 車椅子のお年寄りや身障者を降ろすこともあるし、今後そのケースが増えるはずだ。マイカーにやさしい駅周辺に、との発想が出てきてほしい。

(2004年12月13日)

第23回 国際展の応募作品を紛失

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第23回の写真国際絵画展の応募作品書類紛失で揺れる兵庫県立美術館(神戸市中央区のHAT神戸で)

 「ぶんか」の看板を掲げている当コラムとして、ぜひ触れておきたいことが起こった。兵庫県立美術館(神戸市中央区)が、国際公募展の応募書類の一部を紛失していたという。文化人にとっては重大な「事件」に違いない。

 同美術館は、阪神大震災から10年の記念事業として被災地の文化復興を示そうと、「兵庫国際絵画コンペティション」を企画した。「大賞」賞金が1,000万円という大型企画だけあって、7、8月の公募期間に約7,900点が集まった。

 審査結果の通知が届かなかった人からの訴えで、公募最終日の8月31日に同美術館へ応募書類を持参した約50人分がなくなっていることが分かった。受け付けたのは委託業者。まとめて箱に入れておいた、といっているが、なぜなくなったかは不明のままらしい。一部がなくなったことを知らずに、すでに審査を終えてしまった。

 作者の思いを踏みにじった同美術館の責任は重い。集まる書類のチェック態勢を十分に整えていなかったからだ。簡単な受付簿さえ、用意していなかったというから、驚きだ。業者任せの、わきの甘い同美術館に、こんな大型企画を運用する資格があるだろうか。作品に命をかけている作者・作家の側に立てば、こんないい加減の処置はできないはずだ。

(2004年11月10日)

第22回 雪が降る。プラザに楽しい企画

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第22回の写真降ってくる人口雪を見上げて喜ぶ買い物客ら(2003年のセールで)

 三宮の「プラザ」に、この冬も雪が降るらしい。ウインターセールの呼び物に、去年に続いて人工雪を降らせるという。今年は,降る雪にムービングライトを当てて、光と音とで雪のページェントを奏でるとか。京町筋の吹き抜けの3階から真っ白な雪が落ちてきて買物客の足をしばし留めようとの魂胆。

 商店街やデパートのセールに伴うイベントや装飾は楽しい。夢がある。私も子どものころ、小さな地方都市ではあったが、クリスマスや正月、それに夏休みなどは、繁華街へ出かけると、心がうきうきしたものだ。

 三宮で伝統と実績を誇る「プラザ」3センターが合同で取り組むセールは、神戸市民の注目の的。「今度は何が・・・」と、期待されている。企画する側も力が入る。いろいろな提案の中から、「降雪を定着させよう」との意見が大勢を占たと聞く。流れるクリスマスソングと相俟って、楽しさ溢れるアーケード街が演出されるに違いない。

 ただ、今ごろの若い人たちは、こうしたイベントや飾りをどう受けとめるのだろうか。季節の風物詩という感覚を持ってもらいたいと、年配の私は願うのだが。「時代に合わない」などと言われないように、企画する側も心しなければならない。

(2004年10月20日)

第21回 時代遅れ? 直して使う腕時計

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第21回の写真神戸では最も賑わう三宮センター街 の入り口付近。 この商店街から、技術・技能を持つ専門店が少なくなっていくのは、時代の趨勢(すうせい)か。(神戸・三宮で)

 30年近く使ってきた腕時計が止まった。買ったデパートへ持っていくと、一部の部品が磨耗していて、修理に2ヵ月もかかるという。外国のメーカーに送り返して直してもらうためだ。購入当時は、それこそ清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったシロモノだけに、時々電池さえ入れ替えておけば、正確に時を刻んでくれていた。

 修理には値段もかなりかかる。うーん、このままおクラ入りにしようと、いったんはそのまま帰った。が、長年まるで体の一部のように親しんできたものとオサラバかと思うと心残りがして、翌日、修理依頼に出向いた。

 その間、使い捨てのファッション時計でも、と思って品定めしたがどれもピッタリとこない。仕方なく、机の中に眠っている腕時計を探した。そのうち気に入ったデザインの2つを引っ張り出した。1つは動いている。だが、時間が5分ほど進んでいた。これを三宮の時計店に持ち込んだ。突起ボタンが4つ着いた特別仕様のもので、時間の合わせ方が分からなかったからだ。応対の若い店員は、「自分でやってください」と、ホームページのアドレスをメモした紙切れをくれた。自宅に戻って試してみたが、型番が多すぎてどの分を開けばいいか分からず、断念した。

 もう1つは、電池切れ。これを持ち込んだら、「防水装置がしてあるので、電池交換でも、メーカーに送らないと……」というので、その場で、これも断念した。

 今ごろは、安価でいい時計が買えるので、私のような古い時計を直してでも使うというのは、流行らないのだろうか。時計店にも、技術を持つ人がいないようだ。

 商品も安価な品の大量生産時代から、「個の時代」に戻りつつあるというが、現実はなかなか厳しいようだ。

(2004年9月21日)

第20回 幹線道路の不法と違反

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第20回の写真「客待ち停車禁止」の立て看板の前に客待ちの列をつくるタクシー(神戸市中央区で)

 JR三ノ宮駅付近から加納町三丁目あたりまで、神戸市の中心街を貫く幹線道路で、いつも不思議な現象が起きている。タクシーの不法停車と、乗用車の駐車違反だ。

 交通センタービル前の交差点から北行き車線の西側に、いつも10台ほどのタクシーが停車する。阪急とJRの利用客がどっと吐き出される横断歩道のところで乗客をつかまえようとの魂胆。だが、その列の先頭車両が止まる横の柱には「客待ち停車禁止」の警告が書かれてある。

乗車拒否もたびたびだ。ドライバーにしてみれば、長い間並んでいて近距離では稼ぎに響くに違いない。不法に停車しておいてそれはないだろうと、言いたいのだが……。

 さらにその先の交差点から加納町3丁目の歩道橋までの左側車線は、夜になると駐車違反の車で埋まる。ひどいのは、歩道橋真下の左折専用道路の上に堂々と駐車する車もあることだ。

 この道路、ピーク時には駐車の列の右にタクシーがバックをしながら列を作り、駐車違反と不法停車の「二重奏」になる。残る1車線では渋滞が起き、救急車が立ち往生したこともある。日夜こんな状況が繰り返されているのに、なぜか警察の取り締まりが甘い。不思議だ。

(2004年8月27日)

第19回 「ミナト神戸」が泣いている

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第19回の写真病室の窓越しに見た神戸港・モザイクの観覧車(ポートアイランドから)

 ポーアイランドにそびえる神戸市立中央市民病院に入院するはめになった。肝臓に腫瘍が見つかり、検査を受けるためだ。その検査がたいへん。腫瘍が悪性か良性かがつかめず、切るか切らないかの判断にいろんな検査が重なり、思ったより長い入院になってしまった。

 病室から見る神戸市街地の素晴らしい夜景が唯一の慰め。モザイクの観覧車は色鮮やかに夜空をこがし、目を見張らせる。ライトをつけたポートライナーが橋を渡って来る。かつて六甲山から見る神戸が「100万ドルの夜景」ともてはやされたが、今は海からの方がリアルで楽しい。

 ふと、気がついたが昼のポーアイは活気がない。広大なコンテナヤードは空っぽ。大きなキリンに似たガントリークレーンはじっとしている。かつて「クイーンエリザベスⅡ世号」などの世界中の豪華客船が寄港したターミナルも寂しい。「ミナト神戸」の名が泣く。

 「ミナト」はどこへ行ったのか。19日の海の日、目立ったミナトの行事は無かった。市民が海に親しめる催しがもっとあってもいい。ひとり活気づいているのが、ボートライナーの新線工事だ。ポーアイ沖に建設中の神戸空港へのアクセス。急ピッチで新しい線路が南へ向かって延びている。「ミナト神戸」に代わって、近い将来、「空港都市・神戸」などと言われないように多くの船が出入りする港にしてもらいたい。

(2004年8月4日)

第18回 ポストは赤でなくても・・・

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第18回の写真昼間人口の多い三宮一体だが、郵便局ばかりかポストも少ない(神戸・三宮で)

 町のいたるところに、コンビニエンスストアが、まさに乱立している。三宮界隈でも、ちょっと歩くとコンビニに出くわす。こんな感じで、郵便局があったら便利だろうな、と思った。

 というのは、先ごろ、ある女性経営者が「センター街に郵便局があったらいいのに」と話したのを聞いていたからだ。「ちょっとした小物を郵便では210円で送れるのに、近くに局がなく、JR三ノ宮や元町の局も狭くて待たされるので、つい500円以上の宅配便にしてしまう」。誘致を望む女性経営者の弁だ。

 三宮センター街への誘致の動きは何度もあり、郵便局側へ正式に打診していたようだ。6月には日本郵政公社東京本社の幹部が来神し、「三宮での新設は難しい」との意向を示したという。その理由のひとつに「民営化の問題もあり・・・・・・」が挙げられた。

 小泉首相の長年の「公約」である郵政民営化は、逆に誘致の最大のチャンスだ。明治時代以来の古いしきたりを破って新しい組織・形態が生まれる時にこそ、利用者が使いやすい郵便局をつくるのがいい。「ポストは赤」ではなく、いろんな色のポストがあってもいい。設置基準など作らなくてもいい。ここそこに郵便局があっていい。いっそのこと、コンビニがそのまま郵便局の仕事を引き受ければ、なんの問題もないのでは、とも思う。

(2004年7月14日)

第17回 泡盛で沖縄の心をつかむ

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第17回の写真サマーセールのテーマは「この夏プラザは、琉球王国。」。セールをPRする大看板(神戸・三宮のセンター街で)

 沖縄慰霊の日の6月23日、神戸市内のレストランで「神戸泡盛の会」があった。沖縄直送の泡盛を飲みながら、さきの戦争犠牲者の霊を慰めようと、兵庫沖縄友愛運動県民の会などと共催で続いている集まりだ。戦時下に最後の沖縄県知事となった島田叡さんが神戸出身だった縁で、沖縄の戦いを風化させたくない、との願いから、「泡盛の会」が生まれたと聞く。

 23日夕は、会を重ねて21回目。各界の約50人が参加した。犠牲者に黙祷をささげたあと、全員で「献杯」して、会が始まった。3種の泡盛をひとつの甕(かめ)に入れて混ぜ合わせた「泡盛の会」特製のクースは、のど越しがよく、澄んだ味わいだった。

 修学旅行で沖縄を訪れた小野市の中学校の先生が、生徒の感激した様子を報告すれば、幻の泡盛づくりの島に行った講談師が泡盛の味について文字通り講釈して、会は盛り上がった。

 たまたま、25日から始まったプラザ3館のサマーセールは、「この夏プラザは、琉球王国。」がテーマ。多彩なイベントでプラザ界隈を沖縄色に染めようと目論んでいる。

(2004年6月29日)

第16回 梅雨入発表はお節介?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第16回の写真道端に咲くアジサイの花。梅雨によく似合うアジサイは神戸市の市花になっている(神戸市中央区熊内町で)

 近畿地方が6日、東海、関東甲信地方と同時に梅雨入りした。たしかに神戸地方は6日夜半から7日未明にかけて雨に見舞われたが、7日は快晴。午後には六甲山付近に入道雲さえ出現した。

 もっとも気象庁の6日の発表は「梅雨入りしたとみられる」と、断定を避けた表現になっている。もともと気象学的に「梅雨入り」の定義はないからだ。それだけでなく、もう10年も前だったか、梅雨明けを宣言したあと1週間も土砂降りが続いて世間から批判を受けて以来、「入り」も「明け」も、「みられる」というボカした表現にしたのだ。

 いったいに農林漁業に携わる人たちは、他人に天候や気象のことを教わっても信用しない。「あの峰の上にうす雲がかかると雨になる」「あの岬と島の間に赤いに雲がたなびくと晴れる」など、自然を相手にした知恵が代々の言い伝えとして蓄積されている。別に気象台から「梅雨入り」と教わらなくても、自分の肌が一番よく知っている。

 気象衛星などの発達で天気予報の確度は高くなったが、いまだに気象予報士なる人が、ラジオ放送で「明日は天気になってくれるかな」などと言っている。根拠が不十分で自信がないからだ。

 天気予報を信用するかしないかは個人の勝手だが、本当に必要な人は自分でしっかり予報している。

(2004年6月10日)

第15回 ヴィッセル神戸の「旗印」

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第15回の写真ヴィッセル神戸をPRする看板。ユニフォームに華やかさがあれば・・・・・・(神戸・三宮で)

 サッカーJリーグのヴィッセル神戸が、「色問題」で、モメている。球団経営側がチームカラー変更を検討していることを知ったファンらが「今のままの白と黒でいい」と騒ぎ出した。

 財政難を乗りきるためにオーナーが代わり、そのサイドからチームカラーを変えようとの話が持ち上がったらしい。たしかにあの白と黒のユニフォームはおとなしく、花がない。私などは、アメリカンフットボールの審判を連想してしまう。神戸らしいカラーにできないものかと、ずっと思ってきただけに、どんな色になるのか、期待した。そこへ「反対」の動きである。署名を集めて球団へ手渡したりした。

 Jリーグ設立の趣旨からすれば、地元に溶け込むチームづくりが一番だから、地元ファンからの異議があっては、おいそれと前に進めないらしい。

 白と黒は、すでに定着した感がある。でも、やはり私には馴染めない。はっきり言って、不幸の弔い会場に張る幕のようだ。それはカラーと言えるのかどうか。

 やっぱりここは、新しい船出にふさわしい新しい旗印をつくってはどうか。いつも競技場へ足を運んでいるサポーターたちの言い分にケチをつける前に、私こそもっと総合運動公園へ応援に出かけるべきだろうが……。

(2004年5月24日)

第14回 星野・前阪神監督が功労者だって?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: admin

第14回の写真兵庫県功労者の表彰式がある兵庫県公館。星野さんは出席するだろうか?(神戸市中央区で)

 プロ野球・阪神タイガースの前監督、星野仙一さんが兵庫県功労者に選ばれた――との記事を読んで、笑ってしまった。選考理由が「県勢高揚に顕著な功績があった」というからだ。

 確かに阪神のセ・リーグ優勝は、県民をおおいに喜ばせた。が、県がわざわざ表彰するほどのことだろうか。星野さん本人は苦笑しているに違いない。県民の中には巨人ファンや中日ファンも多くいるのだから。

 そもそも、スポーツ選手らを地方自治体が表彰すること自体、意味が薄い。年度末になると、全国的なスポーツ大会で活躍した中・高校生らを、県や各市、スポーツ団体などが競うように表彰する。こんな必要があるだろうか。スポーツ選手の栄誉は、競技場でこそ称えられるべきだ。戦い終えて手にした栄冠の感激が薄れたころに表彰されても、そう有難くはないように思う。

 このような表彰制度は、国の叙勲・褒章と同じ発想だ。時の首長とその政治体制の維持・安定が狙いだ。次の選挙もにらんでいる。「お上」からご褒美をいただいた人たちは、いきおい、その体制に組み込まれていく。自民党が長い間政権を維持してこられた装置のひとつが、叙勲・褒章といえる。

 近く神戸市にある兵庫県公館で表彰式がある。星野さんは出席するだろうか。

(2004年5月10日)

第13回 美しくない「広告塔」バス

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第13回の写真美しい? 美しくない? 車体に広告を張りめぐらせたバス(神戸市・三宮で)

 あなたが地方出身なら、故郷のバスを目に浮かべてみませんか。町までの買い物、学校の行き帰りに慣れ親しんだバスの形と色を鮮やかに覚えているはずです。あなたが神戸育ちなら、あの、白と緑のくっきりした神戸市バスのボディをまず思い浮かべることでしょう。

 でも、最近のバスは変ですね。車体いっぱいに広告を張りめぐらして。清涼飲料水、コーヒー、お菓子の「走る広告塔」が、次から次へと停留所にやってきます。赤っぽいのがあれば、青や黄色などと種々雑多。お世辞にも美しいとは言えない配色が目立ちます。デザインもどこかダサい感じがしてなりません。

 ボディにペイントするのではなく、既製のシールを使って包むように張るところから、ラップ広告と呼ばれていますが、「売らんかな」の広告主の意図が車体にみなぎっていて、いただけません。

 多くの広告料が入るので、市バスやバス会社にとっては経営の助けになるでしょう。しかし、その代償として、「文化的財産」を削っていることに気付くべきではないでしょうか。

 すっきりしない色とデザインのバスは、子どもたちにどう映っているのでしょう。それが心配です。

(2004年4月22日)

第12回 新しい待ち合わせスポットを

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第12回の写真待ち合わせ場所にぴったり。南京街の柳のある広場(神戸市で)

 ヤナギが芽を吹き始めた。中国風の看板、店の構え、街灯と、町全体が赤一色の神戸・南京街。その中にあって、広場に植えられた一本の柳がいま、若緑色をひときわ光らせている。

 「この広場で待ち合わせたらよかった」と思った。久しぶりに会う友人と待ち合わせたのは、なんとJR三ノ宮駅の改札口だったからだ。ふと思った。三宮界隈ではどんな場所で待つのだろうか。阪神、阪急の改札口、デパートの入り口付近、花時計前、国際会館前・・・・・・。年配者が思いつくのは、こんなところだろうが、若者たちはどこで待つのか。

 東京だと、渋谷のハチ公前や東京駅「銀の鈴」下など、定着した待ち合いスポットがある。雨に会うことなくゆっくり人を待てる新スポットが三宮にあればいいのに。

 聞くと、センタープラザの生田筋沿いにある共同広場「サンマリン号」改築の動きがあるという。ぜひ神戸にふさわしいモノを造って、新しい待ち合い名所にしてもらいたい。

 私のアイデアは、忘れられつつある神戸からくり人形の登場だ。かつて外国人観光客に大人気を博した「スイカ喰い」こそ、動きとユーモアがあって打ってつけと思うのだが。

(2004年4月5日)

第11回 「神戸市民球団」の行方

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第11回の写真三宮にあるブルーウェーブのグッズショップには、声援を送る張り紙が出て球春を盛り上げる(神戸市で)

 球春――。プロ野球が開幕し、春のセンバツ高校野球大会も盛り上がってきた。野球シーズンが始まるこの春先を「球春」という。スポーツ紙の見出しが、いつの間にか定着したらしい。なかなか言い得て妙な表現だ。俳句の季語に採り入れてもおかしくないほど、含みのある言葉といえよう。

 プロ野球といえば神戸を本拠地とするオリックスブルーウェーブのスタートが気がかりだ。阪神大震災の年、オリックスは「がんばろう神戸」を掲げ、被災者を励ました。そしてその秋、パ・リーグ優勝を果たした。市民とともに勝ち取った栄冠だ。当時の仰木彬監督は「球場へ通う地下鉄で市民の方から声をかけられ、手紙もたくさんいただいた。初めて地域に密着できたと感じた」と、最近の新聞紙上で振り返っている。

 さて、今シーズンのオリックスはどう展開するのだろうか。今度は市民が熱意と声援を送って、「神戸市民球団」にがんばってもらう番だ。その意味から、「グリーンスタジアム神戸」の名が消えたのは残念だ。情報流出容疑のある会社名をかぶせた球場名では、いただけない。また、地下鉄の駅名も「総合運動公園」では、味気ない。市民の足を球場へ向けるようなしゃれたネーミングができないものか。

(2004年3月28日)

第10回 細るのは残念、生田川沿いの桜堤

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第10回の写真年々細る生田川沿いのサクラ。まだつぼみが出かけたばかり(神戸市布引で)

 わが家のリビングでは毎年、雛飾りをしまうと、壁に大きなサクラの絵がかかる。「身延山枝垂桜」。淡い桜色、というより白に近い花びらが無数に描かれた中島千波の作品だ。部屋がパッと明るくなり、ひと足先に春が訪れる。絵を見ながらの花見酒と、しゃれてみるのも一興だ。

 近くの生田川の堤は桜の名所。約30年前に神戸に引っ越してきたとき、両岸にあふれんばかりに咲き誇る桜並木に感動したものだ。美しく素晴らしい光景だった。

 だが、ここ数年、堤の桜は年ごとにあわれな姿になってきた。周辺の道路や空き地整備の犠牲になり、車の排ガスでやせ細ったり、撤去されたり・・・・・・。新幹線・新神戸駅から見おろして見事だった並木は、すっかり影をひそめた。

 道路や公園は立派になったが、市民が楽しみにしている年に一度の美しさが損なわれてしまった。  利便性はたしかに文化の進歩だが、こころを和ませる情景も大切な文化であるはずだ。

(2004年3月17日)

第9回 左、右? エスカレーターどっちに立つ

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第9回の写真買い物客は左側通行を守っている(神戸・三宮のセンター街で)

 横浜を訪れる用があって、新幹線・新横浜駅に降り立った。新神戸から車中はずっと眠っていたので、頭はややぼんやり。改札口へ向かうエスカレーターのステップでつい右側に立った。後ろからドンドンと降りてくる人の気配でハッと気がついてあわてて左へ寄った。関東では右側を空けることになっている。

 なぜ、こんな風習ができたのだろうか。一説によると、関西では私鉄の駅のアナウンスに従っていて定着したと言われる。

 では、中間の名古屋では人はどっちに立つ? 「真ん中に」というジョークが本当にされる、というジョークもあるとか。

 神戸市の繁華街・センター街では、通行人のほとんどが左側を歩く。その先の元町商店街でもそうだ。これはなぜか。

 日本に車が増え始めたころ、「人は右、車は左」の対面交通ルールができたが、これとは関係なさそうだ。人々の社会的慣習は、一種の文化に他ならない。何かわけがあって、一定のルールがつくられる。

 エスカレーターの立つ位置、商店街の人の流れ、これらの由来を知る人は教えてほしい。

 ゴルフでは、右打の人が右方向へ流れるスライス球を打つと、「思想が右傾化しているからだ」と揶揄される。エスカレーターで左に立つ関東は「サヨク」で、右に立つ関西は「ウヨク」なのか、な。

(2004年3月8日)

第8回 指揮棒を振ってみたい?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第8回の写真音楽を聴くなら「松方ホール」と定評のある神戸新聞松方ホール(神戸市中央区で)

 神戸在住の指揮者・延原武春さん(日本テレマン協会)に、指揮法の初歩を伺った。自宅で音楽を聴きながら指揮棒が振れたら楽しいだろうなぁ――。そんな感覚で話を聞いたが、クラシックの指揮は素人にはとても難しい。

 多くの演奏者を引っ張っていくことが、指揮者の大きな仕事。楽譜を読むのが精いっぱいの私など、とても指揮者にはなれない。だが、CDやラジオに合わせてひとりで楽しめたらと、基本の「き」の棒の持ち方と振る形を教わった。で、あとは自己流でやってみた。だめだ。もう少し進んだ展開を学ばないと、楽しめないことがわかった。

 これまでコンサートで何気なく見てきた指揮者に、これからは敬意を払って、動きを見ていかなければなるまい。プロ中のプロで40年近くも指揮に携わってきた延原さんの謦咳に接することができただけでも幸せだった。

 長引く不況のしわ寄せで、楽団運営は大変だろうが、音楽ファンの中にしっかり根をおろし、顕著な活動を続ける日本テレマン協会に大きな声援を送りたい。

(2004年2月15日)

第7回 「貧すれば鈍する」近鉄球団名の売買

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第7回の写真「グリーンスタジアム神戸」。神戸総合運動公園の目玉だが・・・(神戸市西区で)

 プロ野球の近鉄バファローズが、「近鉄」の名を売りに出た。年間35億円で、命名権を譲るという新商法。球団経営はそのままで、命名権を買った企業・団体(あるいは個人?)が、名称を「○○バファローズ」とすることができる、という。

 これまで、神戸スタジアムを「ヤフーBBスタジアム」とするなど、球場名の使用権を売買する例はあったが、球団名は初めてのことだ。

 プロ野球協約は、「野球が社会の文化的公共財となるように努める」ことを、協約の目的と定めている。近鉄の計画はこの条項に違反すると、他球団の実力オーナーから、横ヤリが入った。

 近鉄は、収入増加策として思いついたらしく、まず応じてくれそうな企業探しからはじめたところ、マスコミに知れ、計画発表に追い込まれたらしい。オーナー会議に諮るなどの手順を踏まずに、まず「売り込み」を急いだことへの反発も強く、近鉄はやむなく白紙撤回にした。

 文化事業ではメセナに多大な貢献をしている近鉄のイメージダウンにもつながりかねない「勇み足」だ。健全であるべきプロ野球の世界で、「貧すれば鈍する」ような振る舞いは、結局、無に帰してしまった。

(2004年2月5日)

第6回 公立美術館にも不況の波 ~がんばれ!芦屋市民

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第6回の写真存続か休館かで揺れた芦屋市立美術博物館(芦屋市伊勢町で)

 芦屋市は財政改革策のひとつとして、市立美術博物館について、「民間委託を模索し、休館も視野に」と表明した。ここ数年、私立美術館の閉鎖が相次いでいる中で、とうとう公立美術館にも不況の波が押し寄せてきたと見るべきだろう。

 芦屋市立美術博物館は、洋画家の小出楢重や、前衛芸術集団「具体美術協会」などの収蔵で知られている。維持費が年1億5千万円かかるのに対し、入場料や図録の販売収入は700万円しかない。

 市は①民間委託②民間への売却③委託・売却できない場合は休館、との方針で、2006年度実施を目指すとしている。

 自治体財政危機のしわ寄せが、福祉と文化を直撃するのはいつものことだ。芦屋市はとくに阪神大震災からの復興費がかさみ、財政運営が厳しいことは理解できるが、環境的にも歴史的にも「文化都市」のイメージが強い町だけに、将来に禍根を残さない策を講じてほしい。

 さいわい、事態を知った市民の中から存続運動が起こった。この市民のエネルギーが、市や市議会を動かすテコになればと願うしかない。

(2004年1月31日)

第5回 文化の力で関西を元気に

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第5回の写真市民に親しまれている神戸文化ホール。多彩な催しに多くの市民も気軽に参加している(神戸市中央区で)

 関西出身の文化庁長官・河合隼雄さんが昨年、「関西元気文化構想」なるものをぶち上げた。「文化には人を動かす力がある。文化には日本を動かす夢がある。みんな力をあわせて、いま、関西から元気になろう」と。

 低迷する景気。単に経済力だけに頼らずに、「文化の力」で、関西を盛り上げようという考え。関西各地で、音楽、美術、演劇などのイベントを多く展開し、みんなでおおいに文化を面白がってみようという趣旨だ。

 そんなとき、神戸市の市立博物館では「大英博物館の至宝展」が開かれている。創立250年を誇る世界最大級の博物館の収蔵品は700万点を超える。その中から精選の270点が展示されている。古代オリエント世界をはじめ、世界中の1万年にわたる人類の歴史をたどることができる豪華な作品ばかり。偉大な作品を文字通り「目の当たり」するのが、文化を面白がる第1歩だと言える。

 「歴史の重み」を背負った大作品に触れ、文化力を養ってみたい。

(2004年1月21日)

第4回 すっきりしない年賀状の新商法

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第4回の写真神戸中央郵便局。年賀状の「新商法」の結果は?(神戸市中央区で)

 今年の年賀状から、「出す人にも賞品が当たる」新趣向が採り入れられた。官製の年賀はがき50枚を買うごとに応募券1枚がもらえ、それを送ると抽選で品物が当たるという、郵政公社の新アイデアだ。

 だが、応募の専用はがきは郵送する仕掛けになっており、1枚ごとに50円切手を貼る必要がある。つまり客に一口50円を張らせて当たりの賞品を渡す、いわば郵政公社が「胴元」のばくちだ。応募数に切手代を掛けた金額が、賞品総額を上回れば上回るほど、胴元のもうけが大きくなる仕組みだ。常識的に見て、損はないようだ。

 法的には何の咎めもないが、このばくち、何か変だなと思うのは、私ひとりだろうか。公社化して売り上げ増を迫られる郵政公社に、知恵者がいたものだが、消費者保護法の精神からすれば、何ともすっきりしない。年賀状という麗しい正月文化に水を差す「もうけ主義」と言わざるを得ない。

 で、郵便局窓口で文句を言ったら、「それなら、応募されなきゃいいんです」。ごもっとも、ごもっとも。

(2004年1月13日)

第3回 初詣は地元の神社で

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第3回の写真初詣の飾りをつけた神社の一角。地元の神社を大切に(撮影場所 不明 CD-Rより使用)

 初詣はどこへ行きましたか。

 日ごろは神や仏を信じない人も、新年はどこかにお参りしないと気が済まないようだ。

 神戸市内では、生田、湊川、長田の各神社が賑わう。各神社とも、正月の賽銭箱が年間経費を大きく支えるとあって、PRに躍起だ。中でも中心街に近い生田神社は、阪神大震災で受けた大きな被害からすっかり立ち直り、市民の「鎮守の森」を取り戻した。神のご加護のたまものといえようか。

 でも、私は大きな神社へは行かない。1人当たりのご利益が薄いと感じるからだ。新幹線・新神戸駅近くの小高い丘にある神社へ行く。狭い境内に火が焚かれ、神主が出迎えてくれる。神前にかしわ手を打って、くる年の健康を願うとすがすがしい気持ちになる。パチパチ、パチ。薪のはじける音が、なんとも心を落ち着かせる。

 みなさんも、地元の神社に出かけられてはいかがでしょうか。

(2004年1月3日)

第2回 ミナトの汽笛が聞こえない

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第2回の写真近代的に整備された神戸港の一角。出入りする船は減った(神戸市中央区で)

 最近は、正月を迎える「カウントダウン」がはやっている。社寺はもちろん海岸やレストラン、コンサート会場でも、大晦日から新年への「10、9、8、………、ゼロ」と、盛り上がる。年明けをイベント化するのは、いまや若者だけの特権ではないようだ。

 神戸の新年は、ミナトに停泊する船舶がいっせいに鳴らす汽笛の音で明ける、というのが、長年のしきたりだった。神戸市内に住むようになった30年前、除夜の鐘とともに、ボォー、ボォーと響き合う汽笛の音が六甲山にこだまするのを聞いて感動したものだ。

 だが、ここ数年は船が少なくなり、音も小さくなってしまった。港湾の近代化で荷揚げが速くなり、停泊する船が減ったのが原因だ。沖に何日も停まってはしけで荷揚げをするといった風景が消えた。神戸の文化は港の外国船からという伝統も無くなりつつある。技術の進歩は確かに人間にとって快いものだが、一方で人の心の豊さを台無しにしてしまうこともある。

 波止場に集まった人々のカウントダウンに負けない、大きな汽笛の響きの復活をこの大晦日に期待したい。

(2003年12月22日)

第1回 「第九」演奏を聴きにいく?

  • Posted at April 30, 2006
  • Posted by: nakayama

第1回の写真繁華街にある文化の殿堂「神戸国際会館」(神戸市中央区で)

 街にクリスマスソングが流れると、そわそわしてくる。クリスマスよりも年末が近いことを感じるからだろうか。年があらたまっても、別に暮らしや仕事ぶりが変わるわけでもないが、師走はやはり何となく気ぜわしい。

 こんな時、三宮のプラザでは、「あ、雪だ。」のキャッチコピーで、人工雪を降らせる。イブに雪が降ってホワイトクリスマスともなれば、ロマンチックだ。「みなとコウベに雪が降る」。そのまま歌の文句になりそうな光景ではないか。落ち着いた気分で、アーケード街に降る雪を眺めたい。

 年末といえば、恒例のベートーベン「第九」演奏会。神戸国際会館(23日)の大阪フィルハーモニーなど、神戸でもいくつか予定されている。ひところ、にわか仕立ての素人合唱団員も参加してあちこちで演奏されたが、最近ではやや冷めたようだ。というより、すっかり定着した感もある。今年もあわただしい日々を送ってきた。せめて、その代償に第九演奏会に足を運んで、ナマの「文化」に接してゆっくりしたいものだが……。

(2003年12月12日)

Index of all entries

Home > 「神戸ぶんか」異聞 Archive

Search
Feeds

Return to page top